ジョンの木に花が咲きました!
昨日、いつもジョンをかわいがってくださっていたお客様が来てくださいました。
懐かしいジョンの話に花が咲きました。
ジョンに報告を・・・と思って庭に行くと!なんと!ジョンが亡くなった時に植樹したネムの木に花が咲いていました!
ネムの木は横に枝が広がるので、ジョンが居なくなってもまたここに集ってジョンの思い出話をするように、と思って選びました。
ジョンが亡くなってからもう4年
なかなか大きくならず毎年、枯れやしないかとドキドキしていたのですが
なんと!
立派な花がたくさん、咲いていました。
久々にジョンに出会えたような気持になりうれしくなりました。
ジョンに会いたいなぁ・・・元気にしてるかなぁ・・・きっとアイスをたくさん食べてるわ(笑)
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by inu_baka
| 2021-06-25 17:13
| 犬バカ日誌
ジョンからのメッセージ
先日、私の友達が夢を見たそうです。
友達はジョンがお空に行ったことを知らずに、ジョンにも年賀状を送ってくれていました。
だから最初ジョンのメッセージの意味がわからなかったそうです。
ジョンは私に
「ありがとう と伝えて。ジョンはとても幸せな時間を過ごせたんだよ」 と言っていたそうです。
とてもハスキーな声だったそうです。
もう出かけたから年賀状のお返事はできないんだと言っていたそうです。
私はこの言葉にとても救われました。もうすぐジョンの一周忌
いつもここ数年、子どもができてから昔ほどジョンをかまってやれず後悔していました。
ジョンは賢いから最後まで私に気を遣ってくれたんだと、本当にうれしかったです。
ありがとうね、ジョンとまた涙が止まらずで・・・
またジョンの写真を見て懐かしく思っています。
ありがとうね
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by inu_baka
| 2018-03-02 14:40
| 犬バカ日誌
ジョンは土に、お空に帰りました
子どもたちができてから庭で時間を過ごすことが多くなりました。
これからも皆でジョンを思いだせるよう、庭に植樹をしました。
私の好きなネムの木。
ジョンの木。
枝が横に広がるのでジョンが木陰で休めるようにと選びました。
「いつも一緒にいてくれてありがとう」の気持ちを込めて植えました。
大きく育つといいなぁ・・・
これを区切りにこのジョンブログも近々閉じようと思います。
皆様にも本当にお世話になりました。
ジョンもきっと同じ気持ちです。
かわいがっていただき、ありがとうございました。
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by inu_baka
| 2017-06-12 13:25
| 犬バカ日誌
長い間ありがとうございました。
長い間犬バカ日誌をお読みいただきありがとうございました。
ジョンが12歳のお誕生日を目前に亡くなりました。
昨日23日の日曜日の朝、病院で息をひきとりました。
でも私としては悔いが残る最期でした。
時には忙しさにジョンを忘れてしまったりしたこともありました。
子どもができてからのこの2年あまりかまってもやれませんでした。
でもジョンの居ない朝がこんなにさびしいとは思いませんでした。
夜寝るとき追いかけてくるジョンの足音が聞こえないのがさびしくてたまりません。
ジョンの水差しやベッドやすべり止めマットを見るたびに悲しくてたまりません。
ジョンが来るからおむつを捨てなきゃ
網戸を締めないと脱走するからね
門扉はきちんとしめないとジョンが一人散歩に出るからね
ビニールのこぶくろはジョンのうんこ袋だからとっといてね
そんな日々の当たり前の習慣はジョンがいる前提でした。
今は悲しくてたまりません。
でもジョンがくれた、たくさんの思い出に本当に感謝です。
12年間、仕事をし初めて一番私や家族がしんどい時に
いつも空気のようにそばに居てくれたジョンに
本当に感謝です。
皆様にも大変ジョンがお世話になりました。
ジョンが12歳のお誕生日を目前に亡くなりました。
昨日23日の日曜日の朝、病院で息をひきとりました。
いつもジョンを愛してくださった皆様に取り急ぎご報告をいたします。
まだ私も心の整理ができておりませんので乱筆乱文になりますことお許しください。
17日月曜日、座り込んで震えていたので病院に連れて行き、ヘルニアではないかと痛み止めをもらいました。
18日火曜日にはケロッと直り、脱走して佳松苑の玄関でちょこんと座っていたのを連れ戻したぐらいです。
19日水曜日の朝から下痢と嘔吐を繰り返し、ごはんも受け付けずぐったりと庭で過ごしました。
20日木曜日も治らないので病院に連れて行き点滴を受け少し楽になった様子でした。特に異常はなさそうとのこと・・・お薬をもらって帰りました。
21日金曜日薬を無理やり飲ませるのがやっと・・・でも外に出よう出ようとして、ぐったりと立ち上がるのもやっとなのに・・・
22日土曜日になんとか病院に連れて行くころには少し体温が下がっているのが私でもわかるぐらいでした。血圧も脈拍も下がっていました。
ショック状態とのことで点滴やら酸素吸入をしてもらいました。
病状が急変したから原因が中毒かもしれないということで(私には急変ではなかったのですが・・・)レントゲンを撮ると胃の中に異物があるとのことで回復をまって経度の麻酔で済む内視鏡でとろう、もしかしたらそれが消化器官に穴をあけているかもとのことでした。
結局、軽度の麻酔で済む内視鏡で異物をとることにしました。取り出したものをみても何かわからないのですが、4・5センチある強化プラスティックみたいなものでした。
ただ異物をとっても状況は劇的には向上しませんでした。
幸いにも穿孔は確認できないとのことでした。
年齢も高いので一度ショック状態に陥ってから回復できるかどうか五分五分とことでした。
麻酔から徐々に覚めて様子を見ていたのですが安定していたので、ジョンを置いて帰るのが心苦しかったのですが、「おしっこも出てるし大丈夫!」と自分に言い聞かせ
「ジョン、頑張れ!」となだめて帰りました。
回復すると思っていました。
でも翌朝、日曜日7時ごろに呼吸が弱まっていると電話があり急いで病院に行きました。
もうすでに心臓マッサージを30分しているとのことでした。
心臓はかすかに動いているけれど
私の声はもう届いてないようでした。
いろんなチューブにつながれているジョンがかわいそうでたまらず、50分マッサージしてもらった後あきらめました。
悲しくて悲しくてたまりませんでした。
でも家に連れて帰ってやろう、みんな待っているからまだ温かいうちにと連れて帰りました。
なぜ急にこんなことになったのか
18日火曜日にはケロッと直り、脱走して佳松苑の玄関でちょこんと座っていたのを連れ戻したぐらいです。
19日水曜日の朝から下痢と嘔吐を繰り返し、ごはんも受け付けずぐったりと庭で過ごしました。
20日木曜日も治らないので病院に連れて行き点滴を受け少し楽になった様子でした。特に異常はなさそうとのこと・・・お薬をもらって帰りました。
21日金曜日薬を無理やり飲ませるのがやっと・・・でも外に出よう出ようとして、ぐったりと立ち上がるのもやっとなのに・・・
22日土曜日になんとか病院に連れて行くころには少し体温が下がっているのが私でもわかるぐらいでした。血圧も脈拍も下がっていました。
ショック状態とのことで点滴やら酸素吸入をしてもらいました。
病状が急変したから原因が中毒かもしれないということで(私には急変ではなかったのですが・・・)レントゲンを撮ると胃の中に異物があるとのことで回復をまって経度の麻酔で済む内視鏡でとろう、もしかしたらそれが消化器官に穴をあけているかもとのことでした。
結局、軽度の麻酔で済む内視鏡で異物をとることにしました。取り出したものをみても何かわからないのですが、4・5センチある強化プラスティックみたいなものでした。
ただ異物をとっても状況は劇的には向上しませんでした。
幸いにも穿孔は確認できないとのことでした。
年齢も高いので一度ショック状態に陥ってから回復できるかどうか五分五分とことでした。
麻酔から徐々に覚めて様子を見ていたのですが安定していたので、ジョンを置いて帰るのが心苦しかったのですが、「おしっこも出てるし大丈夫!」と自分に言い聞かせ
「ジョン、頑張れ!」となだめて帰りました。
回復すると思っていました。
でも翌朝、日曜日7時ごろに呼吸が弱まっていると電話があり急いで病院に行きました。
もうすでに心臓マッサージを30分しているとのことでした。
心臓はかすかに動いているけれど
私の声はもう届いてないようでした。
いろんなチューブにつながれているジョンがかわいそうでたまらず、50分マッサージしてもらった後あきらめました。
悲しくて悲しくてたまりませんでした。
でも家に連れて帰ってやろう、みんな待っているからまだ温かいうちにと連れて帰りました。
なぜ急にこんなことになったのか
原因もわからずなんだか納得もいかないままで皆、悲しみにくれています。
どうしたの?と皆に聞かれてもよくわかりません。
私の考えですが、内視鏡を見せてもらったところ、胃がかなり荒れていました。
あの異物はもう少し前からあり、その為に胃が荒れていたのではないかと思います。
そこに、痛み止めのきつい薬が老体にはかなりこたえたのではないか
それがきっかけて嘔吐や下痢になり脱水症状になりショック状態になったのではないかと思います。
ジョンはもしかしたらもっと早くにいろんなことを悟っていたのではないかと思います。
やたら庭に出ようとしたのも、木陰にじっとして私たちから離れよう離れようとしていたのも死期を悟ったのかもしれません。
脱走したあのとき、佳松苑にあいさつに行ったのかもしれません。
あの異物はもう少し前からあり、その為に胃が荒れていたのではないかと思います。
そこに、痛み止めのきつい薬が老体にはかなりこたえたのではないか
それがきっかけて嘔吐や下痢になり脱水症状になりショック状態になったのではないかと思います。
ジョンはもしかしたらもっと早くにいろんなことを悟っていたのではないかと思います。
やたら庭に出ようとしたのも、木陰にじっとして私たちから離れよう離れようとしていたのも死期を悟ったのかもしれません。
脱走したあのとき、佳松苑にあいさつに行ったのかもしれません。
でも私としては悔いが残る最期でした。
あの時、病院に行かない方がよかったのかもしれない
最後の晩せめて家に連れて帰ってやればよかったと。
最後の晩せめて家に連れて帰ってやればよかったと。
時には忙しさにジョンを忘れてしまったりしたこともありました。
子どもができてからのこの2年あまりかまってもやれませんでした。
でもジョンの居ない朝がこんなにさびしいとは思いませんでした。
夜寝るとき追いかけてくるジョンの足音が聞こえないのがさびしくてたまりません。
ジョンの水差しやベッドやすべり止めマットを見るたびに悲しくてたまりません。
ジョンが来るからおむつを捨てなきゃ
網戸を締めないと脱走するからね
門扉はきちんとしめないとジョンが一人散歩に出るからね
ビニールのこぶくろはジョンのうんこ袋だからとっといてね
そんな日々の当たり前の習慣はジョンがいる前提でした。
今は悲しくてたまりません。
でもジョンがくれた、たくさんの思い出に本当に感謝です。
12年間、仕事をし初めて一番私や家族がしんどい時に
いつも空気のようにそばに居てくれたジョンに
本当に感謝です。
皆様にも大変ジョンがお世話になりました。
いつもジョンを気にかけてくださって本当にありがとうございました。
ジョンを撫でてくれるたくさんの手をジョンは忘れないと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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by inu_baka
| 2017-04-24 16:58
| 犬バカ日誌